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2014年度のプロジェクトの概要

 

研究プロジェクト

老いを考える

研究代表者 松林 公蔵  京都大学東南アジア研究所教授
研究目的要旨

我が国では、75歳以上の後期高齢者人口は今後20年間に倍増(1千万人増)し、65-74歳の前期高齢者人口を数においてはるかにうわまわる。近年、老化に関する分子遺伝学的研究は急速に進んでいる。一方、臨床老年医学の領域では、高齢者の慢性疾患の増加によって、Diseaseの治療だけでなく、Diseaseが結果としてもたらすDisabilityの予防・介護に重点が移ってきた。申請者たちは、臨床老年医学、認知症学、分子遺伝学、老年心理・社会学、進化学など、それぞれ老化に関する個別Disciplineの学問研究を推進しつつも、これらを統合し止揚する観点が重要であるとの認識から、本研究では、「老い」に関する領域横断的な新たな学問パラダイムの構築をめざす。

研究目的

①背景:
我が国では、75歳以上の後期高齢者人口は今後20年間に倍増(1千万人増)し、65-74歳の前期高齢者人口を数においてはるかにうわまわる。従来、日本の人口構成は、子ども4人に対して高齢者1人の割合で推移してきたが、2055年には、高齢者5人に対して子ども1人とその割合が逆転する。少子高齢化は日本において特段に顕著ではあるが、人口の高齢化はアジアでも急速に、アフリカでも緩やかに進行しているグローバルな現象である。
近年、老化に関する分子遺伝学的研究は急速に進んでいる。線虫や哺乳類を用いて老化に関与する遺伝子が同定され、また染色体末端の構造変化等の事象も観察されている。基礎生物老化の研究領域では、抗老化という概念さえ生まれ、老化をコントロールしようとする研究も盛んである。
一方、臨床老年医学の領域では、高齢者では急性疾患のみならず、認知症や骨粗鬆症、脳血管障害などの慢性疾患の増加によって、Diseaseの治療だけでなく、Diseaseが結果としてもたらすDisabilityの予防・介護に重点が移ってきた。
このような現実が、世界中で進行してゆくのが21世紀である。
申請者たちは、臨床老年医学、認知症学、分子遺伝学、老年心理・社会学、進化学など、それぞれ老化に関する個別の学問研究を推進しつつも、これらを統合し止揚する観点が重要であるとの認識にいたっている。

②必要性:
生命進化のうえでの基本原理は、「繁殖するのに十分なほど長く生きる」ことにあった。しかし、21世紀の人類は、「繁殖後にも十分長く生きる」という、生命進化のプリンシプルでは解けない課題に遭遇している。「老い」の問題には、単にその生物学的機構の解明だけでは済まされない多くの問題が包含されている。そこで問題になるのは、もはやガン・脳卒中、心臓病といった疾病の発症解明や延命の科学だけではない。加齢にともなって不可避な老人性認知症といかに向き合うか、要介護者をいかに遇するかといった課題が老年医学に課せられている。さらにもっと深刻なことは、高齢社会が、全体としてどのように生き延びていくかという社会システムの構築の問題でもある。私たちは、20世紀後半になって、農業革命以降最大規模の人口革命、人類史上初の寿命革命の渦中にいる。高齢者が、生の終わるその最後の瞬間まで、豊かな生きがいと従容とした自得をもって生き、そして尊厳をもって安らかな最期を迎える、という事態は、すぐれて個人的問題ではあるのと同時に、そういった社会の枠組みを、進化の産物である私たちの「脳—叡智」がはたしてつくりだせるか否かにかかっている。
そのためには、要素還元的な単一Disciplineの研究では不十分と思われ、分野融合的な新たな学問パラダイムの構築が喫緊の課題として要請されている。

③方針:
私たち人類の「脳—文化的遺伝子」は、それまでの歴史上のあまたの課題よりもさらに深刻な多くの生存基盤にかかわる課題と対峙せねばならなくなっている。21世紀、地球社会の生存基盤を考えるにあたっては、エネルギーや地球環境の問題と同時に、今後進展してゆく高齢社会をどのように構築するかという課題がそれである。本プロジェクトにおいては、「老い」の問題を、老年医学、認知症学、分子遺伝学、老年心理・社会学、進化学等の諸分野の研究者が、多面的に科学する議論・考究を通して、日本発の「老いの科学」という領域横断的な新たな学問パラダイムを創成することを目的としている。

キーワード 高齢社会、老化、疾病、老年医学、進化
Aged society, Ageing, Disease, Geriatric Medicine, Evolution
参加研究者リスト
18名
松林 公蔵 京都大学東南アジア研究所
秋山 弘子 東京大学高齢社会総合研究機構
井口 昭久 愛知淑徳大学
大塚 邦明 東京女子医科大学東医療センター
奥宮 清人 京都大学東南アジア研究所
小澤 利男 東京都健康長寿医療センター
葛原 茂樹 鈴鹿医療大学
坂本 龍太 京都大学白眉センター
東南アジア研究所
佐倉  統 東京大学大学院情報学環
佐々木英忠 仙台富沢病院
陣内 陽介 中村病院
瀬戸 嗣郎 静岡県立子ども病院
出水  明 出水クリニック
平田  温 北秋田市民病院
藤澤 道子 京都大学東南アジア研究所
カール ベッカー 京都大学こころの未来研究センター
米原  伸 京都大学生命科学研究科
和田 泰三 京都大学東南アジア研究所
2013年度
研究活動予定
① 研究会開催予定:
第1回: 2014年9月頃 1泊2日(於 高等研)20名程度
第2回: 2015年2月頃 1泊2日(於 高等研)20名程度
② 話題提供予定者:
  国内招聘6名、国外招聘1名程度。
研究活動実績 2012年度:

第1回研究会では、「老い」に関して、研究会各メンバーの研究知見を紹介し、基礎生物学から霊長類学、臨床老年医学、人文社会科学、進化学までの多様な側面と知見の共有をはかった。まず、研究代表者の松林公蔵が、領域横断的な「老い」に関する研究の必要性と研究趣旨を説明したのち、老年医療ではフィールドを重視した予防医学の必要性を提唱した。そして、老いを考える場合、概念としてミクロからマクロまで、すなわち分子圏、人間圏、生物圏、地球圏という入れ子のような構造の理解が示唆的であることを問題提起した。ついで、社会学者である秋山弘子によって、日本の人口構造の推移が確認された。高齢者のうちでも急速に増加するのが、欧米で「人生第4期」(The Fourth Age)と呼ばれる75歳以上の後期高齢者で、その数は今後20年間に倍増(1千万人増)し、「人生第3期」(The Third Age)といわれる65-74歳の前期高齢者人口をはるかにうわまわる。人生90年を考えると、多様な人生設計が可能であり、複数のキャリアを想定する「二毛作人生」も可能であること、人間の能力は、多次元で多方向であり、人生の各段階での能力を最大限に活用して生きることによって、高齢期の可能性を追求することが重要である点が議論された。超高齢社会では、医療は必須となるが、脳の形態と機能の画像医学的研究において大規模なデータを蓄積する福田寛によって、脳の加齢現象の実態が報告された。老年医学者の小澤利男は、日本の老年医学100年の歴史を通覧しつつ、従来の医療では解決できない老年医療の問題点を指摘した。すなわち、老年医療では、急性疾患の治療のみならず、生活習慣病の管理、健康増進と介護予防、そしてQOLや生きがいの自覚が重要であることが議論された。従来、「繁殖後にも十分長く生きる」という「長寿」は人間だけにみられる現象と考えられてきたが、霊長類研究者である松沢哲郎らの35年間にわたるボッソウのチンパンジー群れの観察から、社会構造の変化によって、チンパンジー世界でも「老いのかたち」がかわってきている実態が提示された。また、個体に寿命があるように、群れにも寿命があり、ボッソウ集団は、群れとしても「高齢期」を迎えている可能性が示唆された。一方、分子生物学者の米原伸は、細胞レベルの分子遺伝学的な考察から、「老化と死」に関して、細胞レベルと生体レベルでは異なることを示した。さらに細胞レベルでの死は、あらかじめプログラムされた積極的な細胞死(アポトーシス)と偶発的かつ受動的な細胞死(ネクローシス)のふたつに区別されることから、細胞死と個体死、種の持続などは、相互に「入れ子」状態にある現象であることを示唆した。細胞、個体をこえた種の生存、老化、死という進化的な立場から、佐倉は、人間以外の多くの生物種における次世代への情報の伝達は生物学的「遺伝子」が主であるが、人間の場合、次世代に伝える情報としては、生物学的な遺伝情報と同時に言語、教育、科学技術、信仰などの文化的情報の影響が大きいことを示した。生物情報が「遺伝子」によって伝達されるのに対して、文化的情報は、脳を担体として伝承される故に、自然科学的手法をとる生物医学についても、事実のみに担保された没価値性を特徴とする「厳密科学」ではありえないと説く。そして人間は、現在の環境には適応していない生物とも考えられ、現代の人類は、生物進化史上かつてない未曾有の環境に直面しており、その解決のためには、特段の困難が予想されると警鐘を促した。
 以上、第1回の研究会を通じて、参加者全員が、グローバルな人間社会の高齢化という現実の理解のうえにたって、「老いや死」に関する考察は、ミクロからマクロな視点にいたるまでの多様な側面と同時に、科学哲学のパラダイム転換を図ることによって、21世紀の超高齢社会を模索する議論を展開した。
 2012年度第2回研究会では、Aging in Placeの実例として、本研究会メンバー主導している4つのフィールド、(1)高知県土佐町、(2)ヒマラヤ高所である中国青海、(3)ブータンのカリン、(4)千葉県かしわが比較検討された。人間との比較の上で、ボッソウの野性チンパンジーと熊本サンクチュアリのチンパンジーにおける老化の実態も報告された。招待講演として基礎老化の分野から、京都大学石川冬木博士によって、生物の寿命限界であるヘイフリック限界と寿命を測る時計でもあるテロメアと個体の老化に関する考察が展開された。東京工業大学教授の本川達雄博士から「生物の時間と老い」に関する話題提供をいただき、老いに関する考察は、生物学的な遺伝子と文化的な遺伝子の総和概念として捉える必要性が提唱された。また、国立社会保障・人口問題研究所所長の西村周三博士によって、世界規模における人口問題の実態と経済・福祉制度に関する報告が行われた。さらに研究分担者であるカール・ベッカー博士からは、高齢者ケアーの現状報告と人間の死生観に関する考察が行われ、「老い」に関する分野融合的な考察がきわめて重要であることが認識された。
 本年度の研究会では、老化に関する個別の学問分野の紹介と学際的な議論を通じて、「老い」に関する考究を、実践と理論、社会と科学の両面に軸足をおいた統合の学として捉える必要性が確認された。さらに次年度以降、「老い」に関するさまざまな学問パラダイムを交響・深化させることによって、最終年度には、「老いに関する総合学」としての著書の出版を視野にいれることが合意された。
2013年度:

 2013年度の研究会においては、期初の研究目的である「老いの研究」の基礎構造である少子高齢社会に関する実態概念を討論・共有した。将来の人口構造の推計とその対策に関しては、さまざまな観点が可能であるが、日本のみならず現在世界中で進行している現実は、歴史上かつてない人口動態の革命ともいうべきものである。この人口革命は、将来の世界秩序を形づくる点で、その重要性にもかかわらず、人口学研究者の間ですらその地政学上の波及効果に関する評価は一定していない。政策決定者の間でもこの変化がもたらし得る最悪の結果を緩和するための政策を今実行すべきかどうかという議論がようやく行われるようになった。日本を先頭とする世界中の国々が今、深遠な人口動態上の変化にみまわれており、出生率の低下と寿命の延長が同時に、大きく継続的におこっており、これは人類の歴史上かつて経験のない事態ともいえる。今後の20-30年で間違いなく多くの国々が今よりも総人口が減少し、かつ高齢者の割合が高い国となる。国によっては、この人口動態上の衰退があまりに激しく、経済成長はもとより、社会保障費の負担など、国際的安全保障の履行まで困難になることも予想される。少子高齢化は世界全体を通して共通の現象といえるが、その進展の度合い時期は国によって、また地域によって大きく異なる。
とくに、少子高齢化と総人口減少のフロンティアに位置するのが日本である。日本国内でも、過疎高齢化は郡部を中心として現在でも深刻に進行しているが、同時に近年、都市部の高齢者の割合の増加も顕著で、コミュニティーの絆の薄い都市部では、高齢者をケアーする施設の相対的な不足が医療・介護難民をもたらし、高齢者の孤独死も今や少なくない。
2013年度の研究会では、以上のような、人口動態の激変の渦中に私たちは存在しているという基本認識にたって、2013年の2回にわたる研究会を通じて、下記のような各論的議論の共有をおこなった。
(1)基礎生物学的な研究の進展

基礎生物学分野では、寿命のメカニズム研究、アンチ・エージング研究、iPS細胞の応用研究などが進展し、寿命の延長の方向に滔滔として進んでいる。今まで、人間の寿命の限界と考えられていた120歳をこえて、150歳くらいを想定する研究者もでてきている(ソニア・アリソン「寿命100歳以上の世界」)。ただ、これら基礎研究の方向性と現実の老年医療、高齢者介護、労働人口をもとにする財政基盤、死生学の哲学との議論は、まだ道半ばである。
(2)病院医学とフィールド医学

高齢者医療が病院医学のみでは完結しないことは明らかであり、地域におけるフィールド医学的予防、地域における介護が重要であることが認識されている。国がすすめている地域包括支援センター構想は、医療・介護費用の削減がその目的の前提にはあるものの、さまざまな慢性疾患をかかえた高齢者の医療・介護を病院のみで対応することが困難であるといった現実的な実情にも由来している。「住み慣れた地域で安心して自分らしく」ということをめざす、いわゆる“Aging in Place”という概念は、徐々に全世界に広がりつつあるが、本研究会では、都市部の柏市、郡部の高知県土佐町、秋田県、また本研究会会員が推進しているブータンにおけるヘルスケア・デザインなどの社会実験実績をもとに、高齢者医療・介護の多様性を論じて、地域固有のヘルス・ケアデザインの重要性を議論した。
(3)高齢者の健康実態と終末期医療

日本では、高齢者の約85%は元気であり、15%が介護を必要としている。高齢者のためのヘルスケア・デザインでは、前者の元気な高齢者に対しては健康増進と健康寿命の延伸が求められる。一方、後者の要介護高齢者には、質の高いケアーシステムの構築が要請される。とくに、身体介護を要する高齢者と同時に、認知症高齢者のケアーをどのように行うべきかについては、2012年に国は、「認知症施策推進5カ年計画(オレンジプラン)」を策定して、実施にのりだした。現時点では、認知症の根本的な治癒は困難であるので、認知症高齢者のQuality of Lifeを維持しつつ、家族の介護負担を軽減させる方策が種々議論された。これに対しても、医療機関、ヒューマンリソース、地政学的状況などによってそれぞれに異なる地域固有の状況に照らした対応が求められるが、全国一律の医療制度のもとでの運用には数多くの課題が発見されている。また、欧米では、長期にわたる延命措置は患者に帯する虐待ととらえる倫理観が存在するが、日本では生命重視の考え方が根幹にあるために、延命措置からの医療の撤退に関しては、賛否両論に分かれる。意識のない高齢患者さんに対する人工呼吸機の中止は、現行の法律制度のもとでは違法とされるケースが多く、終末期医療と法との整合性も今後の課題である。
(4)医療・介護に関する財政制度

医療・介護を支える財政基盤の予測は困難である。しかし、いま何ができるのかを考えることが重要である。65歳から74歳の層をどうみるかが一つの鍵となる。限界集落では、この年代が後期高齢者を支える側であることは通常である。高齢者の定義を75歳以上とし、かつ生産年齢人口(支え手)の年齢幅を15-69歳と再定義すれば、30年後の超高齢化社会においても現在と同じレベルで、一人の高齢者を2.7人でささえることになる。今後、首都圏では85歳以上の独居老人が増加するほか、各地域で高齢化率が急増し、都道府県内の分布では軒並み県庁所在地に高齢者が集中して多くの地域で人口密度は低下する。徒歩圏内に生鮮食料品店が存在しないことは高齢者単独世帯数にとって問題となるが、2050年にはこの世帯は倍増する。また、現在国土の5割に人が居住しているが、今後居住地域は4割にまで減少する。これは、賃金や有効求人倍率の地域間格差と人口集中には高い関連性があり、地方との経済格差により首都圏や都市部に人口が流入することによる。若者の安定雇用、女性の出産後雇用継続、年齢にかかわりなく働きつづけることができる社会づくり等全員参加型社会の実現がその対策となる。今後、税金や社会保障をめぐる世代間分配論争について考えていかねばならない。
(5)死生観

若さを重視する価値観は、速さに価値があり、高齢者の尊敬につながりにくい。一方、心を重視する価値観では、人のため・風雅・品・聖なる、など深さの価値観で、高齢者の尊敬につながり精神は奥深い歴史に帰属して続く。在宅での他界により、家族・親戚での看取りが重要と思われる。死に関する自己決定をしておかないと自分が望む医療は受けられないのみならず、医療者や家族に困惑を起こさせ、社会資源の無駄遣いをする可能性ある。死や終末期医療の現実についてさまざまな教育が必要である。日本にはお仏壇やお墓参りを通じて、この世とあの世をつなぐ絆を感じる経験智がある。往生とは「往き生まれる」を意味するが、死者も遺族と繋がっていると感じることができる死生観を大事にしたい。死者の気配や臨終体験、お迎え現象については欧米の大学医学部でも研究対象となってきた。しかし、日本では、医師は患者の死によって敗北感を味わい、看護師・介護者のなかには燃え尽きてしまうものもいる。介護における燃え尽きは、情緒的疲弊(→医療ミス)、離人化(→冷淡な態度)、非自己成就(→離職)などにつながる。介護者の燃え尽きの要因は患者の認知症、夜間起床回数と関連する。介護者が、患者の行動を理解、対応できるか、意味ややりがいを感じるかどうかが、介護の質と関連していることがあきらかになった。
これまで、「死」の問題は、タブー視されてきた観があるが、老年学では、Quality of Deathを議論する必要がある。