

いうまでもないことだが、一口に研究といっても、その分野は気が遠くなるほど広大である。もちろん、筆者はいつもそんなことを考えているわけではないが、そのことを再認識させられたのは、最近では、2年前に企画委員として高等研にかかわるようになったときで、そこでは、メタマテリアル、脳科学、単分子エレクトロニクス、分子生物学といった分野の問題が、さながら日常会話のようにかわされていたからである。
筆者は能楽(能と狂言の総称)を専門とする人文学分野の人間だが、昨年3月まで大阪大学に23年間勤めていたから、異分野の専門家と比較的接する機会は多かったし、理系の先生方とも多少は交流があったけれど、そのように異分野の専門的な会話の場にいあわせたことはなかったのである。
一方、最近、ある出版社から送られてきた日本の地方史研究についての分厚い情報誌を何気なくめくっていて、その分野で刊行されている研究誌の量に驚嘆させられた。しかも、同誌によれば、それでも漏れが相当にあるはずだという。ひとつの分野でも、そこにはやはり広大な世界が広がっているわけである。そして、そのような事情は筆者がかかわっている「能楽」という分野にも言えるのである。
というのは、能楽は文学、音楽、美術などが融合した演劇であり、その歴史は鎌倉時代から現代にまでおよんでいて、それぞれの時代の社会や文化や思想とも密接なかかわりのもとに継承されてきたからである。筆者は大阪大学では、毎年、能楽を材料に内容の異なる講義をしてきたが、それが可能なくらい、能楽という分野は広いのである。そのような能楽の研究に携わっていると、おのずから、能楽をとりまくさまざまな文化や社会や思想にもふれることになるのだが、いつのまにか、筆者はそうやって能楽という窓から物事をみてきたように思う。
このたび、川北稔前副所長のあとをうけて、はからずも副所長に就任することになって、これまでとは異なる立場から高等研にかかわることになったが、そうした習性はたぶんこれからも変わることはない、というより変えられないと思う。さらにいえば、それはだれにもいえることであって、だれしも多かれ少なかれ、自身が培ってきたものから離れることはできないし、また離れる必要もないのである。問題は自身が培ってきたものを、どれだけ異なる視点から見て、その結果、どれだけ新しい世界を切り開くことができるか、ということかと思う。いささか手前味噌になるが、それは高等研がめざしていることとそう隔たってはいないのではないだろうか。
おりしも、昨年の秋から筆者が代表となって、「禅」と日本中世の文化・芸術・社会との関係を考えるという、自身の研究分野を新しい視点から見ようとする高等研の研究プロジェクトがスタートしている。
とりあえず、そんなころから高等研での仕事を始めたいと考えている。
高等研ニュースレター75号
(2011年1月発行より)
