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2012年度のプロジェクトの概要

 

研究プロジェクト

意識は分子生物学でどこまで解明できるか?

研究代表者 坂野  仁  国際高等研究所学術参与、東京大学名誉教授
研究目的要旨

本研究計画では、意識に至る高次脳機能の解明が分子生物学的なボトムアップアプローチからどのように可能か?を討議し、その可能性を探ってみたい。その為、「意識」を意識した分子生物学的研究の最新の現状を整理して、その有効性を吟味する。

研究目的 ① 背景:

「意識」とは、何物かに対する意識であって、それ自体に対するものではない。しかし、それでは、一体何に対するものであろうか?この問題は、長らく哲学や心理学の分野で議論されてきたが、定説はないと言ってよく、科学的な対象(仮説があり、それを実験的に検証することが可能な)ではないと考えられてきた。

② 必要性:

これに対して、意識(consciousness)の問題は、科学的議論の俎上に乗るとしたのは、Francis CrickとChristof Kochである。近年の分子生物学や神経科学の急速な進展に伴い、記憶や神経投射の基本的メカニズムの解明が進んできた。従って、これまで、学問的(少なくとも自然科学の)対象としては、難しいと考えられていた、意識の問題を、分子生物学や神経科学の成果の上に立って、解明することは可能かもしれず、時宜を得た提案と考える。

③ 方針:

これらの先駆的な試みを踏まえたうえで、遺伝学や免疫学の基本問題、更には、記憶や学習の分子機構についてほぼその概要を解明してきた分子生物学的アプローチがどの程度有効であるかを真面目に問うてみることは、意味のあることであろう。その為、参加研究者と話題提供者の間で、それぞれの研究に即して、この問題を論じてみたいと考えている。

キーワード 遺伝子、分子生物学, 高次脳機能、意識
参加研究者リスト
5名
坂野  仁 国際高等研究所学術参与/東京大学名誉教授
東原 和成 東京大学大学院農学生命科学研究科教授
森  憲作 東京大学大学院医学系研究科教授
Linda Buck Fred Hutchinson Cancer Research Center
Jean-Pierre Changeux College de France
2012年度
研究活動予定
① 研究会開催予定:
2泊3日の研究会を、3回開催予定。
うち1回はProf. Changeux、うち1回はProf. Buckが出席予定
② 話題提供予定者:

なし

研究活動実績 2010年度:

本年度は、「意識が分子生物学方法でどこまで解明できるか?」というプロジェクトの全体的方向性について討議する為、4回の研究会を開催した。第1回、第2回研究会では、志村副所長、佐藤理事の参加のもと、3年間のプロジェクトの基本方針を決定した。これに、基づき、第3回研究会では、ドイツ・ケルン大教授でドイツ神経科学会の会長であるSigrun Korsching博士を海外から招聘し、森憲作東京大学医学部教授と嗅覚神経受容体の進化、嗅覚神経の大脳皮質投射、嗅覚神経投射特異性の決定機構について発表と討議を行った。更に、Korsching教授を岡崎にも招聘して、意識と分子生物学との関わりについて、討議を重ねた。第4回研究会では、この成果を踏まえ、カリフォルニア大学からJohn Ngai教授を招聘して、倉橋隆大阪大学生命機能科教授、竹内春樹東大特任助教、竹内結子助教の参加のもと、前半部では、意識の問題を分子生物学的に研究する仮説検証性の問題について、後半では、嗅覚系の進化と情報処理の特性について、討議を深化させた。

研究会開催実績:
第1回 2010年10月9日(於:高等研)
第2回 2010年12月14日(於:高等研)
第3回 2011年2月17日(於:高等研)
第4回 2011年3月4日(於:高等研)
話題提供者:6名
倉橋  隆 大阪大学大学院生命機能研究科教授
竹内 春樹 東京大学大学院理学系研究科特任助教
竹内 裕子 大阪大学大学院生命機能研究科助教
森  憲作 東京大学大学院医学研究科教授
John Ngai カリフォルニア大学教授
Sigrun Korsching ドイツ・ケルン大学教授
その他の参加者:2名
志村 令郎 国際高等研究所副所長
佐藤 行則 国際高等研究所理事
2011年度:

本年度は、昨年(2010)年度の討議結果を受け、当研究会の集大成として、国際シンポジウムを国内外からの第一線の研究者を招いて、12月6~9日国際高等研で行った。
 今回の国際シンポジウムでは、動物の外界認識の一形式である嗅覚系を中心に、その受容体の進化と神経投射を基礎とした嗅覚の認識過程が分子生物学的手法により解明されてきた国際的最先端の研究の現状が見事に示された。最後に、パスツール研究所のJean-Pierre Changeux博士による、意識の進化の分子生物学的基礎の実験的証拠に基づく考えが提起され、参加者の間で討議を行った。また、David Anderson博士による遺伝学的手法を駆使した実験により、飢えと満腹の状態の違いにより同じ物質(餌)でも動物に異なる反応を引き起こすことから、意識も動物の状態により変動する神経機構が分子レベルから定量的に説明できることが示された。
 今回の国際シンポジウムの成果を踏まえ、本研究会として、当初の問題「意識は分子生物学でどこまで解明できるか?」という問いに対して以下のように結論する。
(1)動物は、外界を認識する為に、外界の物理的特性に応じて反応する5つの感覚系(視覚、聴覚、体制感覚、嗅覚、味覚)を進化させてきた。従って、外界の認識方法としては、光、音、皮膚刺激、臭い物質、味物質の5つのパラーメータしかない。従来の研究は、ハーバード大学のKufflerを中心として、ノーベル賞受賞のHubel博士, Wiesel博士, Chala Schatz博士、Michael Stryker博士(シンポジウム招待者)、田中啓治博士(本シンポジウム招待者)、宮下保司博士等によって、網膜から一次視覚野視覚、高次視覚野への情報処理過程が詳細に研究されてきた。これらの研究により,網膜上では同心円型の受容野を持つOn, Off細胞による情報処理が一次視覚野では、線分応答性細胞に、更に高次視覚野やでは、より複雑な形認識細胞へと進展して行く様式が明らかになって来た。しかし,それがどのような分子機構により形成されるのかは,未解明の部分がなお多い。他の感覚系では、聴覚、体制感覚に関する研究が主流であった。これに比して、嗅覚系は、Gordon Sheperd博士等による先駆的研究はあるが、相対的には進んでいなかった。状況が一変したのは、ノーベル賞を受賞したRichard Axel博士、Linda Buck博士(本シンポジウム招待者)によって多重遺伝子である嗅覚受容体ファミリーが発見されたことによる。この発見により、1000種類余りの嗅覚受容体(げっ歯類の場合)の存在とその複数の組み合わせにより複雑な外界の情報を臭分子を介して認識する分子的ロジックが急速に明らかになってきた。坂野仁博士は、電気的活動と誘因反撥因子の組み合わせにより、嗅覚上皮上で離散している特定の嗅覚受容体を発現する嗅上皮細胞が嗅球では、1点に凝集する機構を見事に解明した。本シンポジウムでは、嗅覚受容体の多様性と投射と認識の機構の最先端の機構が余すところなく示され,壮観であった。Jean-Pierre Changeux博士は、これらの議論を踏まえた上で、最後に、げっ歯類からヒトへの認知の進化の基盤として、大脳皮質の各感覚領野を繋ぐ長い連絡神経の進化が重要であることを指摘した。これは、山森が霊長類の連合野特異的に発現する遺伝子群の解析から、それらが上層(2、3層)の錐体細胞の樹状突起とスパイン形成を促進する可能性を指摘しているのと良く符号する。このように、「無機的な外界の物理的情報を生体がどのように認識するのか?」という動物の認識機構の発生と進化の分子基盤の解明が進んできた。その点では、認知とその進化機構の分子生物学的解明は可能になってきていると結論できる。
(2)一方、(ヒトの)意識とは何か?意識には種類があるのか?というという「意識の存在論」については、なお、諸説があり、結論がでていない。分子生物学は、その方法論の性質として、問題設定が明快でないと研究が進まない。5種類有る感覚系の中、最も遅れていた嗅覚系の研究が、この20年余りの間で最も進んだ分野になったのは、嗅物質を受容する1000種類余りの受容体群(げっ歯類の場合)が同定されたことが大きいと言える。この類推からすると、現状では、「意識」をrepresentするような心理学的な実験系の確立無しには,分子生物学的手法はその有効性を発揮できないのではないかと考えられる。これは、心理学者やシステム神経科学の専門家での討議の深化が必要である。幸い、高等研においては、松沢哲郎京都大学霊長類研究所所長(本シンポジウム招待者)が、この問題での第2回国際シンポジウムを企画されており、そこでの問題解明に多いに期待したい。

研究会開催実績:
第1回 2011年8月5 日 (於:高等研)
第2回 2011年11月26日 (於:高等研)
その他の参加者:2名
志村 令郎 国際高等研究所副所長
佐藤 行則 国際高等研究所理事