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第48回 けいはんな「ゲーテの会」

開催概要

未来に向かう人類の英知を探る- 時代の裂け目の中で、人々は何に希望を見出してきたか -

48

科学・技術分野

「平賀源内」に見る江戸後期の科学技術の実相

【講演者】
石上 敏大阪商業大学大学院教授
【講演者経歴】
1959年静岡県生まれ。岡山大学大学院文学研究科修士課程修了、博士(文学)。東京都立大学大学院研究生、新見女子短期大学講師・助教授を経て、現在、大阪商業大学経済学部教授、同大学院地域政策学研究科教授、文化会本部顧問、商業史博物館運営副委員長。専門は日本文学・比較文化。著書に『平賀源内の文芸史的位置』(北溟社)『叢書江戸文庫・森島中良集』(国書刊行会)『万象亭森島中良の文事』(翰林書房、科研費助成出版)『東大阪今昔写真帖』(郷土出版社、監修)『東大阪市の昭和』(樹林舎、同)『西日本人物誌・仙厓』(西日本出版社、共著)『河内文化のおもちゃ箱』(批評社、同)などがある。
【講演要旨】
専ら蘭学(洋学)との強い関わりを云々される平賀源内(1729~1780)であるが、彼は蘭学の師系に属していない。20代の終わりに高松藩を去り、江戸に出て最初に入門したのは、のちに昌平黌となる林家の塾(儒学)であったし、国学の大家・賀茂真淵の門人録の中にすらその名を見ることができる。従来、源内の儒学との関わりは便宜的なものであり、彼の国学は本草学(薬学)の補助的な役割(名辞学)でしかないと言われてきたが、果たして本当にそうであろうか。本報告では、戯作と呼ばれて軽んじられてきたものの実は思想的言説の披瀝の場でもあった小説類(談義本)などを洗い直し、それらに示された源内の科学技術を支える思想的背景に迫りたい。さらに書簡などから窺うことのできる人的交流を加味しつつ、同時代(近世後期)の思想状況における源内の思想史的位置を改めて探ってみたい。その結果、たとえば大田南畝が「源内は学校をつくるために江戸に出てきた」と記した証言は決して看過し得ないことが理解できるであろう。科学技術一辺倒の人と思われてきた源内の思想家としての側面を考察すること、とりわけその今日的な意味は小さくないと考えるものである。
開催日時
2017年6月9日(金)18:00~ 20:30
開催場所
公益財団法人国際高等研究所
参加費
2,000円(交流・懇談会費用を含む)
定員
40名(申し込みが定員を超えた場合は抽選)
締切
2017年6月7日(水)必着

当日の様子

2017年6月9日(金)、第48回「ゲーテの会」が開催されました。今回のテーマは「「平賀源内」に見る江戸後期の科学技術の実相」で、石上敏先生(大阪商業大学大学院教授)にお話を賜りました。
源内は、当時、「談義本」と呼ばれた小説形態の作品を多く残している一方で、浄瑠璃本も幾つか残している。今回は、こうした作品とともに俳句などの中に見られる源内の科学知識や思想を概観してのお話でした。
なお、平賀源内は「エレキテル」で、つとに有名である。しかし、平賀源内は本草学や物産学の専門家ではあっても、電気やガラス製造の専門家ではない。静電気の原理すら理解していなかったと言われているとのこと。
お話に取り上げられた科学器材としては、顕微鏡、エレキテル、火浣布(アスベスト)。談義本の中には、虱(しらみ)の生態など、源内が実際に顕微鏡で見たであろう経験を反映したものがあること。また、「故郷を磁石に探る霞かな」など、小説ばかりでなく俳句にも、源内の科学知識の豊富さは現れていること。
また、源内は、長崎でエレキテルを見出し、後に江戸に持ち帰ってエレキテルの復元に成功し、さらに火浣布(アスベスト)の織り出しにも取り組み、香敷程度の製品については完成させていること、などのお話でした。
その後、源内は、火浣布から手を引き、鉱山開発に精力を注ぐこととなるが、巨大な損失を出し、莫大な借財を抱え、科学技術の関する方面から遠ざかっていった。
源内が抱いていた最終的な夢は学校を建てることにあったとされているが、夢を叶えることなく51歳の生涯を獄中で閉じることとなった、とのことでした。
質疑では、戯作者としての源内と科学者・工学者としての源内の関係に関して、収入を得るための方途として戯作者として活動していたこと、また、そのことによって啓蒙家としての役割をも担うことができたことなどが明らかにされました。

今回の演奏、演目はCH.M.ヴィドール「序奏とロンド」、演奏はピアノ宮本瞳さん、クラリネット崔賢順さんでした。(マイリズム音楽事務所)

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