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第49回 けいはんな「ゲーテの会」

開催概要

未来に向かう人類の英知を探る- 時代の裂け目の中で、人々は何に希望を見出してきたか -

49

科学・技術分野

日本の「原子力開発」を推進した人々の構想力

【講演者】
山崎 正勝東京工業大学名誉教授
【講演者経歴】
1944年、静岡市生まれ。東京目黒で育ち、東京都立大学付属高校を卒業後、東京工業大学で物理学を学び、1972年3月同大理工学研究科物理学専攻博士課程を修了、理学博士。76年に三重大学助教授となり、一般教育科目の「自然科学概論」を担当。このころ専門を物理学から科学史に移し、最初の科学史の論文で大阪帝国大学の成立を論じた。82年、東京工業大学工学部助教授となり、「科学概論」を担当、88年、同大学教授。96年より、同大学大学院理工学研究科教授として技術構造分析講座を担当、2010年に定年退職、名誉教授となる。共編著書に『原爆はこうして開発された』(青木書店)など。2012年、『日本の核開発:1939~1955─原爆から原子力へ』(績文堂)で科学ジャーナリスト賞受賞。
【講演要旨】
2011年3月の福島原発事故の発生で、それまで一部の専門家だけのものだった日本の原子力発電の歴史に、多くの一般の人々の関心が寄せられるようになった。この講演のタイトルには「推進した人々の構想力」とあるが、日本で原子力事業が始まった1955年当時は、福島原発事故のような過酷事故(シビアアクシデント)を予想した人々は、国際的に見てもごく少数だった。日本では、広島、長崎の原爆投下と1954年のビキニ水爆被災を経験していたにもかかわらず、原子力の平和利用への期待は国民の中でも強かった。また、1959年に日本で初めての原発過酷事故予想報告書が出たときも、それが福島原発事故規模の被害予測をしていたものの、その評価は原発批判派の中でも低かった。どうしてこのようなことになったのか。この講演では、その理由を辿りながら、先人たちの努力の文脈を探ってみたい。
開催日時
2017年7月7日(金)18:00~ 20:30
開催場所
公益財団法人 国際高等研究所
住所
〒619-0225 京都府木津川市木津川台9丁目3番地
参加費
2,000円(交流・懇談会費用を含む)
定員
40名(申し込みが定員を超えた場合は抽選)
締切
2017年7月5日(水)必着

当日の様子

2017年7月7日(金)、七夕の夜、第49回『満月の夜開くけいはんな哲学カフェ「ゲーテの会」』が開催されました。テーマは、『日本の「原子力開発」を推進した人々の構想力』と題し、東工大名誉教授の山崎正勝先生に講話をいただきました。

お話しの冒頭、1940年制作、ウオルト・ディズニー長編アニメーション『ファンタジア』の中の一編、「魔法使いの弟子」を放映。主人公(ミッキーマウス)が箒に魔法をかけて水汲みを命じたものの、その魔法を解除すべき術を知らず水難を招いてしまったというものです。このアニメはゲーテの詩「魔法使いの弟子」を原典としています。制御能力(魔法の解除能)を獲得しないまま利便性を追求する(魔法を掛ける)あまり生じた受難であり、このテーマが原発事故と相似形であるという見事な掴みで、参加者は講師の話に引き込まれました。

講話は、原子力利用の歴史から科学技術、そして政治経済の在り方に及びました。
原子力利用の最初は軍事利用、原爆、「ヒロシマ」の衝撃。直後、その調査に赴いた仁科芳雄博士(理研)は、核兵器禁止は戦争を止めてこそと言明したことから、卓見であったと言えます。それは、核廃絶に向けた人類の良心とも目された1955年の「ラッセル・アインシュタイン宣言」の10年も前のことでした。さらに同年には、広島で「原水爆禁止世界大会」、ジュネーブで「原子力平和利用世界大会」が開催されました。これらの高揚期を経て、今日なお原子力利用の在り方が議論されていますが、これまでの過度な原子力への期待、不毛なイデオロギー対立を脱して、事実に即して見ていくことが肝要です。
 
それにしても、司法が「原発再稼働」を判断しなければならない現状は政治の機能不全の証左(かつての「公害問題」が想起される)でもあります。原発事故は十件十色で個別性が高く真の原因は不明で、事故の発生は一定の確率で不可避です。圧倒的技術格差の下で日本の原子力の平和利用がアメリカの核戦略の下での展開を余儀なくされたこと(「3・11」の遠因の一つか)など、興味の尽きない話に展開し、熱心に意見交換が行われました。(文責:事務局)

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