第78回 けいはんな「ゲーテの会」
開催概要
「新しい文明」の萌芽を探る日本と世界の歴史の転換点で、転轍機を動かした「先覚者」の事跡をたどる
第78回
科学・技術ゲノム解析から探るヤポネシア人の起源と成立
- 【講演者】
- 斎藤 成也国立遺伝学研究所集団遺伝研究室 教授
- 【講演者経歴】
- 1957年福井県鯖江市生まれ。1979年東京大学理学部生物学科人類学課程卒業。1986年テキサス大学ヒューストン校博士課程修了。東京大学理学部生物学科助手、国立遺伝学研究所助教授を経て、2002年国立遺伝学研究所集団遺伝研究部門教授 (現職)。総合研究大学院大学生命科学研究科遺伝学専攻教授、東京大学大学院理学系研究科生物科学専攻教授、琉球大学医学部先端医学センター特命教授を兼任。2005~2014年日本学術会議会員。文部科学省新学術領域ヤポネシアゲノム領域 (2018~2022年度)代表。
- 【講演要旨】
- 数万年前にヤポネシア(日本列島)に人間がはじめて移り住み、その後縄文時代となりました。この人々が第一次渡来民です。斎藤 (2017)は、大陸沿岸の漁業を中心としていた「海の民」が稲作農耕民に圧迫されて、約4500年前以降に日本列島に移り住んできたという仮説を提唱しました。この第二次渡来民は、それまでの先住民とは遺伝的にかなり異なっていました。約3000年前以降に、水田稲作を九州北部もたらしたのが第三次渡来民です。この「三段階渡来説」は、埴原らの二重構造モデルを修正したものと考えることができます。第二次と第三次の渡来民が遺伝的に近縁なので、かつては区別できなかったものが、膨大なゲノムデータによって区別できました。第二・第三の渡来民のゲノムの違いと住み着いた地域の差によって、九州北部から山陽、近畿中心部、東海、関東中心部をつなぐヤポネシア中央部に「うちなる二重構造」が生じたと考えています。
- 開催日時
- 2020年1月16日(木)
- 開催場所
- 公益財団法人国際高等研究所
- 住所
- 〒619-0225 京都府木津川市木津川台9丁目3番地
- 参加費
- 2,000円(交流・懇談会費用を含む)
- 定員
- 40名(申し込みが定員を超えた場合は抽選)
- 締切
- 2020年1月15日(水)必着
当日の様子
2020(令和2)年1月16日(木)18時から国際高等研究所で第78回『満月の夜開くけいはんな哲学カフェ「ゲーテの会」』が開催されました。テーマは「ゲノム解析から探るヤポネシア人の起源と成立」。講師は、斎藤成也先生(国立遺伝学研究所教授)。
縄文人の祖先に当たる人類が、日本列島に到来し始めたのは遥か昔、約4万年前。それは、人類の共通の祖の「出アフリカ」から数えて、2、3万年後のことであった。彼らはユーラシア大陸の北から、西から、南からあらゆる方向から渡って来た。その後も、南から海岸沿いに「海の民」と言われる人々がやって来た。彼らは何れも採集狩猟民であった。
その後、3000年くらい前から朝鮮半島を中心に稲作農耕民が農耕文化を伴って流入して来た。彼らは、土着系の縄文人とも混血を重ね、渡来系の弥生人として重きをなすに至り、日本列島人(ヤポネシア人)の原型が形づくられていった。
ただ、北方の地に押しやられた人々は「アイヌ人」、南方の地に押しやられた人々は「オキナワ人」、そして日本列島中央部に居住した人々は「ヤマト人」として類型化されている。この「アイヌ人」と「オキナワ人」は、遺伝学的に近縁関係にあり、「ヤマト人」は、むしろ朝鮮半島人との関係がより深い。
また、その後、第3の渡来系の人々が日本列島中央部に流入し、「ヤマト人」に内なる二重構造が生じているとの知見が得られている。こうして、日本列島人(ヤポネシア人)の起源と成立過程は、これまでの「二重構造モデル」をベースに「三段階渡来モデル」へとより精緻なものとなってきている。
更に、ゲノム解析により、今までの知見とは異なり、旧人(ネアンデルタール人)の遺伝情報が、新人(現代人)にも1パーセント以上継承されていることが解明されているなどの説明もあり、興味を引きました。
質疑応答では、人骨や銅鐸などの出土から得られる考古学的知見、あるいは地名、方言などから得られる言語学的知見、さらには神話(国津神、天津神)などを手掛かりとして、我々の祖先の起源と成立過程は、長足の進歩を遂げているゲノム解析と相まって、今、総合的に明らかにされつつあること、またAI開発と関連して、人類進化の未来にまで話が及ぶなど、興味深い質疑応答が続きました。(文責:国際高等研究所)
-
講師 -
講演の様子 -
質疑応答の様子