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第90回 けいはんな「ゲーテの会」

開催概要

「新しい文明」の萌芽を探る日本と世界の歴史の転換点で、転轍機を動かした「先覚者」の事跡をたどる

90

科学・技術

『世界的数学者にして教育者、随筆家。人間と学問の在り方を論じる「岡潔」』

【講演者】
高瀬 正仁数学者・数学史家
【講演者経歴】
昭和26年(1951年)、群馬県勢多郡東村(現、みどり市東町)に生れる。
東京大学教養学部基礎科学科卒業。九州大学理学研究科数学専攻修士課程修了。同博士課程中退。九州大学基幹教育院教授を経て、現在、数学者・数学史家。専攻は多変数関数論と近代数学史。
多変数関数論は岡潔先生が開拓した理論です。高校生のとき、岡潔先生の『春宵十話』などのエッセイを読んで数学という学問に深いあこがれを抱くようになりました。人の中心は情緒であり、数学は数学という形式に情緒を表現して造形する学問芸術のひとつであるというのが岡先生の言葉です。通常の観念とまったく相容れるところのない不思議な言葉ですが、同時に深遠な魅力があって離れられなくなりました。数学ははたして情緒の表現なのだろうかという問いを立て、岡先生の数学論文集と数学史の古典に学ぶとともに、岡先生の評伝の執筆に打ち込んできましたが、長い歳月の間に岡先生の言葉に心から共鳴し、共感することができるようになりました。さながら迷妄の霧の晴れゆくような思いがしたものでした。
【講演要旨】
昭和4年(1929年)の晩春初夏のころ、岡潔先生はフランスに留学してガストン・ジュリア先生のもとで学び、多変数解析関数論という前人未踏の曠野のような領域に生涯の課題をみいだしました。帰国して広島文理科大学に奉職しましたが、まもなく職を辞して故郷の和歌山県紀見村(現在、橋本市)にもどり、ひとり数学研究に身心を投じました。身なりをかまわずに村を歩き、ときには道端にしゃがみこんで木の枝で地面に数式を書き綴る姿には鬼気の迫るものがあり、同郷の人びとは畏敬の念を抱いたということです。日付入りの日々の研究記録が大量に遺されていて、往時の岡先生の姿を今に伝えています。岡先生はさながら故郷の野の花を摘むように数学の果実を摘み、西欧近代の数学の姿に変容を迫るほどの深遠な理論を造形しました。人生そのものと渾然と融合して展開する岡先生の学問が、今日を生きるぼくらに伝えていることを考えたいと思います。
開催日時
2022年2月17日(木)18:00~20:00
開催場所
公益財団法人国際高等研究所 

【重要なお知らせ】今回はオンラインと会場参加のハイブリッド開催となります。

住所
〒619-0225 京都府木津川市木津川台9丁目3番地
参加費
オンライン 1,000円/人  会場参加 2,000円/人
定員
オンライン 100名  会場参加25名(先着順・定員になり次第締め切り)
締切
2022年2月15日(火)必着

当日の様子

2022年2月17日(木)18時から国際高等研究所主催の第90回『満月の夜開くけいはんな哲学カフェ「ゲーテの会」』が開催されました。テーマは、『世界的数学者にして教育者、随筆家。人間と学問のあり方を論じる「岡潔」』。講師は高瀬正仁先生(数学者・数学史家)。今回も、1月度と同様、コロナ禍に配慮しつつ、対面方式と遠隔方式を併用したハイブリッド方式での開催となりました。

ご講演の趣旨は、岡潔との出会い(エッセイ『春宵十話』(昭和38年)の閲読など)から始まる高瀬先生の学問遍歴の紹介 ― 数学研究に生涯をささげた岡潔の学問と、その根底にある世界観に触れることによって、学問としての数学に開眼したとのお話に関わってのものであった。

岡潔は、「人間の中心は情緒である」「数学とは自らの情緒を外に表現することによって作り出す学問芸術のひとつ」であると言う。これは一般の理解とは正反対である。数学は論理と計算の学問であるとの観念が一般的である。しかし、数学の本質は、課題の自己造形にある。論理と計算を辿れば誰にでも課題は解ける。だが、課題の自己造形は、誰もがよくするものではない。

 偉大な真の数学者と言えば、オイラーとガウスである。岡潔も彼らに匹敵する業績を上げた。特に、多変数解析函数論の第七論文は、現代数学の礎となっている記念碑的な作品である。同論文は、フランスの数学誌に公表され世界的評価を得て、日本で名声を博する切っ掛けとなったものである。

だが、岡潔には異議がある。数学には客観的形式と主観的内容があるとし、この公表論文には、第七論文がなぜ書かれたのかの主観的内容の部分が削り落とされていた。客観的形式が整えられ一般化され普遍性を持ったものに仕上げられてはいるが、似て非なるものである。情緒を表現した学問芸術とは言えないものだ。客観性・普遍性を至上主義とする近代社会そのものの産物とされたことに異議を唱えた。主観性・固有性を大切にした岡潔の思想、「対象的思惟」ではなく「全人格的思惟」に身を投じた岡潔の立場とは相容れないものであった。

加えて、こうした岡潔の立場は、西田幾多郎の「哲学とは、抽象的な問題から起こるのではなく、深い生命の自覚から」との主張と通底するものがある、などの解説があり、また学問論などを巡って多くの質疑もあり、参加者共々、深い感銘を覚えた「会」であった。(高等研)

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