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第63回 けいはんな「ゲーテの会」

開催概要

未来に向かう人類の英知を探る- 時代の裂け目の中で、人々は何に希望を見出してきたか -

63

芸術・音楽

岡本太郎はいま、再発見されようとしている

【講演者】
赤坂 憲雄学習院大学教授、福島県立博物館館長
【講演者経歴】
東京都出身。学習院大学教授。福島県立博物館館長。専門は東北文化論と日本思想史。東北学を掲げて、地域学の可能性を問いかけてきたが、東日本大震災を経て、東北学の第二ステージとさらには武蔵野学を探りはじめている。主な著書に、『異人論序説』『排除の現象学』(ちくま学芸文庫)、『境界の発生』『東北学/忘れられた東北』(講談社学術文庫)、『岡本太郎の見た日本』『性食考』(岩波書店)、『北のはやり歌』(筑摩選書)、『震災考』(藤原書店)、『司馬遼太郎 東北をゆく』(人文書院)ほか多数。
【講演要旨】
わたしは生前の岡本太郎を知らない。興味がなかった。亡くなってから、出会ったのである。その東北文化論を読んで、衝撃を受けた。そこには、はるかな一九六〇年代に、わたし自身の東北学が先取りされていた。そればかりではない。太郎はまさに、グローバル化してゆく世界のなかに、ローカルな泥にまみれて立つための知や技や覚悟のあり方を示していた。伝統こそが創造の現場である、といった言葉の秘める挑発と励ましにも心を打たれる。大阪の万博跡地に、いまも立ち尽くす太陽の塔を仲立ちとして、わたしたちはいま、岡本太郎を再発見しようとしているにちがいない。

【参考図書】ご講演の内容の理解を促進するために次の図書が有益です。
赤坂憲雄『岡本太郎の見た日本』岩波書店、2007


どなたでもご参加いただけます。ぜひ、お誘いあわせの上ご参加ください。
開催日時
2018年9月26日(水)18:00~20:30
開催場所
公益財団法人国際高等研究所
住所
〒619-0225 京都府木津川市木津川台9丁目3番地
参加費
2,000円(交流・懇談会費用を含む)
定員
40名(申し込みが定員を超えた場合は抽選)
締切
2018年9月25日(火)必着

当日の様子

2018年9月26日(水)18時から第63回「満月の夜開くけいはんな哲学カフェ「ゲーテの会」」が国際高等研究所で開催されました。テーマは、「岡本太郎はいま、再発見されようとしている」。講師は、赤坂憲雄先生(学習院大学教授、福島県立博物館館長)。

岡本太郎は、縄文式土器を「発見」した。物としての土器ではなく、縄文人の精神の表象としての土器。そこに命の輝きを見た。農耕ではなく、狩猟に生き、動物と命の遣り取りをせざるを得なかった、荒々しくも生々とした縄文人の生活の様を見た。

翻って、1930年代、若き岡本太郎は、パリにおいて世界最高水準の学術、芸術に触れ、その知性を磨いた。また民族学の訓練を受けた。1950年代、東京国立博物館で縄文土器と出会い、「発見」した。それができたのもパリでの生活と訓練の賜物であった。そして1970年代、大阪万博。その公式テーマは「人類の進歩と調和」。それに対するアンチテーゼの意を込めて「太陽の塔」を創作し、それにかこつけて世界中から民族資料を収集した。後、それは、研究組織「国立民族学博物館」の中核資料となり、今日、「太陽の塔」と共に、70年大阪万博のレガシーとして次代を照射しつつある。そしてそこは「聖地」となりつつある。岡本太郎の再評価が進みつつある所以でもある。

質疑応答では、70年大阪万博のメインテーマは、当初、故 梅棹忠夫氏の提案で「文明の矛盾と人類の不調和」とされていた。そこには近代批判の視線かあった。だが最終的には、それとは逆の「人類の進歩と調和」へと改められた、との紹介があった。また、社会のあり様は、成長から成熟へと進展するに連れて、男性中心から女性中心の世に変わっていくであろうし、変えていかなければ未来はない。それは例えば、縄文土器の作り手がそうであったように、また、ラスコー壁画の描き手がそうであったように、人類史を辿れば何ら不自然なことではない。等々興味ある意見交換が続きました。(文責:国際高等研究所)

  • ピアノ:西垣ドラミ(OneNote音楽事務所)
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