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第71回 けいはんな「ゲーテの会」

開催概要

「新しい文明」の萌芽を探る日本と世界の歴史の転換点で、転轍機を動かした「先覚者」の事跡をたどる

71

科学・技術

文明の生態史観を生んだ旅 -梅棹忠夫の“旅と思想”-

【講演者】
小長谷 有紀 日本学術振興会 監事、 国立民族学博物館 客員教授
【講演者経歴】
1957年大阪府生まれ。1979年に、日本人女性として初めて、社会主義下のモンゴルへ留学し、以来、遊牧民たちの生業技術から儀礼まで幅広く研究してきた。1987年にはまだ文化大革命の傷が深く残る内モンゴル社会科学院に留学し、文献学の研鑽を積む。近年では、中国およびモンゴル国で口述史を収集し、社会主義化前後のリアルな記憶を鮮やかにうつしとることに成功している。長年、国立民族学博物館に勤務し、1998年には特別展「大モンゴル展」を、2011年には特別展「ウメサオタダオ展」を企画運営した。2007年、モンゴル国より友好勲章を、2013年春には紫綬褒章を受章した。
【講演要旨】
梅棹忠夫の山歩きや探検の記録は、ほぼすべて国立民族学博物館に残されており、「梅棹アーカイブズ」と総称されている。それらは現在も整備中であり、随時、公開されている。講演者は国立民族学博物館に勤務した最初の仕事として、梅棹著作集第2巻『モンゴル研究』の編集を任され、没後には、著作集に関わった最年少者であったため、追悼展を担当した。その際に、モンゴルに限らず、アフリカ、ヨーロッパなど世界中に出かけた彼の足跡を資料で追いかけ、「梅棹アーカイブズ」の全容を調査しなければならなかった。この時の経験は、拙著にまとめてあるのでぜひご参照いただきたい。
今回の講演では、とりわけ「文明生態史観」に関連する資料を取り上げ、綿密な観察と記載、素朴な発見を経て、大まかな見取り図が完成する様を確認しよう。また、そうした思索の旅の原点がモンゴル調査であったこともぜひ追認しておきたい。なお、現在は梅棹生誕100年展を準備しているので、乞うご期待。

【参考図書】
ご講演の内容の理解を促進するために次の図書が有益です。
小長谷有紀『ウメサオタダオが語る梅棹忠夫-アーカイブズの山を登る』ミネルヴァ書房
開催日時
2019年5月17日(金) 18:00~20:30
開催場所
公益財団法人国際高等研究所
住所
〒619-0225 京都府木津川市木津川台9丁目3番地
参加費
2,000円(交流・懇談会費用を含む)
定員
40名(申し込みが定員を超えた場合は抽選)
締切
2019年5月16日(木)必着

当日の様子

2019(令和元)年5月17日(金)18時から国際高等研究所において、第71回満月の夜開くけいはんな哲学カフェ「ゲーテの会」が開催されました。テーマは「文明の生態史観を生んだ旅―梅棹忠夫の″旅と思想″―」。講師は小長谷有紀先生(日本学術振興会監事・国立民族学博物館客員教授)。

梅棹忠夫の手による『モゴール族探検記』(1956年)に始まり『文明の生態史観序説』(1957年)から『知的生産の技術』(1969年)に至るまでの初期の著作を辿りながら、それらが出版されるに至った背景、経緯にも触れつつ、「知的生産」などの知的概念の創出につながる、その独創的な学問論、方法論(カード化など)を紹介。
特に、梅棹忠夫が「文明の生態史観」を着想した、つまり文明論考察の起点となったのはモンゴル調査であった。漢族農耕民とモンゴル牧畜民の接壌地帯をカブールからカルカッタへと旅したそのとき(1955年)、自然条件が社会環境に影響を与えている様を目の当たりにし、また、そのインデックスとして「豚」の存否があったこと。更にそれは、梅棹忠夫がその関心を動物から人へ、家畜から牧畜民へと移した転換点(Turning point)であり、思想家として出発することとなった起点(Starting point)でもあったことなどの解説があった。

質疑においては、梅棹忠夫は、文明を論じるに当たって、これまでと異なり、時間軸でなく空間軸を念頭において論じた点で画期的であったこと。社会の多様性が求められる今、文化人類学は21世紀の哲学であってもいいと思っていること。万博などに限らず何事かをなすには、梅棹忠夫に言寄せて言うと未来を見据えた理念が不可欠であること。文明を論じるに当たっても、その「知」を編み出すには、権威に頼るのではでなく、現在を見据えた現場の議論が重要であること
など、興味深い質疑が続きました。(文責:国際高等研究所)

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  • 質疑応答
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