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第79回 けいはんな「ゲーテの会」

開催概要

「新しい文明」の萌芽を探る日本と世界の歴史の転換点で、転轍機を動かした「先覚者」の事跡をたどる

79

政治・経済

明治から江戸の儒学を語る -井上哲次郎の「古学派」の概念を手掛かりに-

【講演者】
リネペ アンドレ帝京大学文学部日本文化学科講師
【講演者経歴】
1975年ドイツのハーゲン市に生まれる。ドイツのフンボルト大学ベルリン社会科学哲学学部日本学学科(Japanologie)卒業、自由大学ベルリンの文化人類学卒業、フンボルト大学ベルリン博士課程後期(日本学専攻)修了、東京大学大学院法学政治学研究科研究生(文科省奨学生)として渡辺浩教授のゼミナールに参加、帝京大学文学部日本文化学科講師、法政大学大学院国際日本学インスティテュート非常勤講師。近世日本思想史専攻。
論文に、“Sorais “Mitmenschlichkeit” (jin). Ein Auszug aus dem Benmei (1717). Übersetzt und annotiert”, in: Japonica Humboldtiana, vol. 13 (2009): 5–25;“Tokugawa Confucianism in Spatial Terms. The Notion of ‘City’ in Yamaga Sokō’s Discourse on Urban Planning”, in:『帝京大学文学部紀要 日本文化学』, 50, 47–78;著書(出版準備中)“Wissen” und “Wissen” bei Yamaga Sokō. Ein Beitrag zum politischen Denken im Japan des 17. Jahrhunderts, Wiesbaden: Harrassowitz Verlag (Reihe Izumi, Bd. 16)などがある。
【講演要旨】
日本の高等学校の教科書では、江戸儒学は朱子学・陽明学・古学という三学派の分類によって説明されています。この分類は明治時代の東京帝国大学教授・井上哲次郎(1855¬~1944年)が創造したものでした。また、井上の江戸儒学についての構想において、特に「古学派」と兵学者・儒学者の山鹿素行(1622¬~85年)の思想が大きな役割を果たしました。しかし、近年の日本思想史の学史研究では、井上哲次郎自体の哲学と政治思想が数多く研究がされています。なぜなら、井上における江戸儒学の構想は歴史的証拠もなく、実は密接に明治の思想文脈と関わるものであったと明らかになりつつあるからです。本講演ではこの近年の研究業績に基づいて、井上のいう「古学派」と井上における山鹿素行の思想についての理解に注目しながら、その思想的(イデオロギー的な)インプリケーションを紹介します。そして江戸儒学についてのこれまでと異なる語り方について思考したいと思います。
開催日時
2020年2月13日(木)
開催場所
公益財団法人国際高等研究所
住所
〒619-0225 京都府木津川市木津川台9丁目3番地
参加費
2,000円(交流・懇談会費用を含む)
定員
40名(申し込みが定員を超えた場合は抽選)
締切
2020年2月12日(水)必着

当日の様子

2020(令和2)年2月13日(木)18時から第79回満月の夜開くけいはんな哲学カフェ「ゲーテの会」が国際高等研究所で開催されました。テーマは「明治から江戸の儒学を語るー井上哲次郎の「古学派」の概念を手掛かりにー」。講師は、リネペアンドレ先生(帝京大学文学部講師)

江戸儒学は、日本の高等学校の教科書(倫理)の記述を見ると、今なお、無批判的に、明治期に井上哲次郎が提唱したカテゴリー、3学派よる分類(朱子学・陽明学・古学)によって説明されている。これでは江戸儒学を正しく理解することはできない。予て和辻哲郎なども異論を唱えていた。「歴史的論拠はない」「国家主義的立場からの偏向がある」などと。

その背景は何であったか。日清戦争での勝利を契機に、日本人の自国意識に変化が生じた。欧米への劣等意識から対等意識へ、あるいは優等意識へと。そこから次第に、大国意識の下に、国家意識の基台にとして儒学と漢学が重用された。井上の江戸儒学の分類は、こうした明治期の社会状況が色濃く反映している。

とは言え、西洋哲学に東洋哲学を加味し、「哲学」を日本に定着させた井上の功績には計り知れないものがある。明治思想史の白眉である。井上は、ドイツ留学によって、当時、世界最先端の哲学論議に触れ、哲学者としての地歩を築いた。特に、井上の江戸儒学の影響は、日本の伝統美を再評価したフェノロサの議論に、あるいは、仏教哲学者井上円了(現 東洋大学創設者)の「真理の哲学として仏教」の再発見にも及ぶなど、日本の哲学界に与えた影響は瞠目に値する。

ところで、近年、日本思想史の研究は隆盛期を迎えている。未来を照らす便として歴史の見直しが進んでいる。これまでの静的な儒学3学派の分類、さらに学統、学説による分類整理ではなく、動的な把握が試みられている。
例えば、山鹿素行から伊藤仁斎、そして荻生徂徠へと続く古学派の学統は、実際は存在しないのではないか。進化論的に把握すべきでもない。三者は別の存在で、それぞれが豊かな内容を有している。山鹿素行は果たして儒学者であったのかさえ疑問とされる。

いずれにしても過去を批判的に眺め、歴史を読み直し、通説を組み替えることは、未来への新たな道を拓くことでもある。そこに思想史研究の面白さ・意義もある。

質疑応答では、儒学研究の動機にも触れ、キリスト教思想とは異なるものへの関心が高じたとの紹介があった。また、「武士道」なる言葉は、欧米に対し、日本にも「国民哲学」「道徳」が存在することを主張・説明するために新渡戸稲造が持ち出した観念であり、江戸時代の言葉ではない。完全に明治期における日本の近代化過程から出たものである。歴史的文脈を踏まえて理解されなければならない、などの説明があり、興味深い質疑応答が続きました。(文責:国際高等研究所)

  • 講師:リネペアンドレ先生
  • 講演の様子
  • 質疑応答の様子
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