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第42回 けいはんな「ゲーテの会」

開催概要

日本の未来を拓くよすが(拠)を求めて-日本の近代化を導いた人々の思想と行動、その光と影を追う-世界の中の日本。科学・文化の諸相に彼我の風土の違いを発見した人物

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科学・技術

小野蘭山と日本のナチュラルヒストリー

【講演者】
岩槻 邦男東京大学名誉教授、人と自然の博物館名誉館長
【講演者経歴】
1934年兵庫県生まれ。東京大学名誉教授、人と自然の博物館名誉館長。専門は植物学。主要著書:『Flora of Thailand』第3巻(1979〜89、Bangkok、共著)、『日本絶滅危惧植物』(1990、海鳴社)、『Flora of Japan』1〜4巻(1993〜、講談社、共編著)、『植物からの警告—生物多様性の自然史』(1994、日本放送出版協会)、『シダ植物の自然史』(1996、東大出版会)、『文明が育てた植物たち』(1997、東大出版会)、『温暖化に追われる生き物たち』(1997、築地書館、共編著)、『生命系—生物多様性の新しい考え』(1999、岩波書店)、『日本の植物園』(2004、東大出版会)、『生命のつながりをたずねる旅』(2012、ミネルヴァ書房)など。
日本学士院エジンバラ公賞(1994年)、文化功労者(2007年)、Allerton Award(2010年)、コスモス国際賞(2016年)など。
【講演要旨】
小野蘭山は享保14(1729)年に生まれ、文化7(1810)年に没した本草学者、「日本のリンネ」などといわれることもある。25才で京都に私塾衆芳軒を開き、多数の門弟のうちには杉田玄白、飯沼慾斎、谷文晁などの著名人の名も見られる。中国本草学の集大成といわれる李時珍の『本草綱目』にもとづいて日本の本草 1882種をまとめた『本草綱目啓蒙』48巻を、75才になって脱稿した。日本のナチュラルヒストリーの歴史のうちで蘭山が占める位置を考察し、その後の文明開化の時代に及ぼした影響をたずねる。
中国の本草学を取り入れた深根輔仁(898〜922)の『本草和名』がすでに日本風の修正を施していたが、日本における自然の記述は『万葉集』などの古典からも直接に受け取ることができる。平和が続いた江戸時代には、貝原益軒(1630〜1714)に始まるナチュラルヒストリーの健全な発展があり、西欧の進んだ自然史研究の成果が、蘭学や洋学の名で、キッチリ取り入れられていた。
飯沼慾斎(1782〜1865)や伊藤圭介(1803〜1901)から、東京大学が創設され、やがてイチョウの精子の発見などの成果につながる近代科学の日本での発展を、西欧との対比で考えてみたい。
開催日時
2016年12月16日(金)18:00~20:30
開催場所
公益財団法人国際高等研究所
参加費
2,000円(交流・懇談会費用を含む)
定員
40名(申し込みが定員を超えた場合は抽選)
締切
2016年12月14日(水)必着

当日の様子

岩槻邦男講師による講演に続き、参加者との活発な質疑応答がなされた。主な内容は下記のとおり。
日本では奥山、里山、人里の境界に猪囲(ししがこい)を設けているが、他の国々での対応はどうかとの質問があり、海外では奥山、里山等の定義がなく、その境界がどこにあるのかが曖昧である。従って、猪囲は日本独自のものであろう。
また、生物多様性あるいは自然史の研究ができるのは、自然が豊かで平和であることのお蔭のように思われるが、今の時代に生物多様性を維持すべきという議論が起こるのは、今が平和ではないという表れではないかとの質問に対して、人の心が平和でないとこのような分野の研究は進まないと考える。だからこそ、生物多様性の問題を考えるのは大切であるとの認識が示された。
さらに、里山については江戸時代には既に認識されていたが、一般に広く認知されるようになったのは1960年代である。これは、その頃に里山が消滅するような状況になった時期と重なる。生物多様性がクローズアップされたのも同様の状況下で、当時の環境庁の担当者が問題意識を持ったことによる。なくなりつつある状況に「言葉」が普及するだけでは問題である。里山の問題を考える時、日本人の心がどうなったのかを問い直す意味も考えるべきではないかと指摘された。
植物分類や植物体系を整理する場合、時間軸に沿って土着種と外来種の交配が多様性を生んだように思うがとの質問に対しては、今日、歴史的な背景を踏まえて自然界にある体系を認識して分類・整理することは、30数億年の生命進化の過程があって今日の多様な形に現れたという相互の関係性を考えることに繋がり、その関係性を明らかにすることが、生きている命の歴史を辿る上で最も大切なことであるとの考えが示された。
(文責:国際高等研究所)

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